しげログ

元ひきこもりなのにヨーロッパで生活している元ひきこもリーマン

旅行系記事を書いてみた結果。文章の個性とは。

 

 先日のギリシャ旅行についてまだ書き切れていないのに、5泊6日でスイス旅行へ行ってきた。今回は車でいったので機動性が高く、回った街や村は10以上あったかと思う。また大量の宿題ができた。

 

 ちなみに2年前にいったクロアチアとイタリアでの旅行記も、途中で終わっている。なんとか全て書いていきたい。

 

旅行記を書くこと

 

 もともと旅行記を書き始めたのは、当弱小ブログへのアクセス数を増やすためであった。実際、当ブログでは1日辺りのアクセス数はゼロだったりする日も普通にあるのだが、旅行記を投稿すると数日間は20件前後になったりして、一定の成果は出ている。

 

 おそらく旅行記をきっかけに、「なんだこいつ。どんなブログ書いてんだ?」と思ってくれて、他の記事も読んでくれているのだと思う。

 

 まぁ本当だったら、「【〇〇村】1日で回れる徹底ガイド!!」みたいなタイトルを持たせて、懇切丁寧に記事を書けば、もっと飛ぶようにアクセスが増えるのだろう。実際、ぼくらが旅行する時には、こうした記事たちに大変助けられている。

 

 でもぼくは、天邪鬼というわけではないのだが、こうした記事を書く気にはならない。まぁ懇切丁寧な記事を書くのがシンプルめんどくさいからという理由もあるけど、筆者の個性を感じさせづらいということもある。

 

 それもそのはずである。旅行先のガイド的な記事を読もうとするとき、読者の関心事項は当然に旅行先における情報の羅列そのものであって、筆者がどんな人か?ではない。むしろ中途半端に筆者の個性など出してしまうと、読者の邪魔になるだけである。

 

 反対に言えば、つまりぼくは、読者に対して「ぼくが書いた文章だから、読みたい」と思わせたいと思っているということだ。あぁいい年して、なんて傲慢で高望みな思いを抱いているのだろうか。

 

 じゃあ、これまでの旅行系記事で、ぼくはぼくの個性を出せているのか、出せたとして読みたいと思わせただろうか。そもそも文章における個性とは何だろうか。ちょっと考えさせられるね。

 

 という急転直下の展開で終了する個性的な記事。悪い意味で。