(ドイツ・ボンにて。ベートーヴェンの銅像)
最近の心境の変化について書いていこう。
最近はまず、自分がもう30代半ばに差し掛かろうとしている現実が信じられねぇ。35歳になって、更に5年たてば40歳じゃん。もうオッサンじゃん!という驚き。その上で更に、その割に精神年齢は22歳くらいで止まっているヤバさ。職場で約5歳年下の部下と雑談することがあるのだが、会話を通してその子の方がよっぽど大人として成熟しているように感じる。
確かにぼくは、特に高校生1-2年生の年齢くらいのときから今に至るまで、人間関係を徹底的に避けてきたと言ってもよいだろう。しかも、その限られた関係性の中で持てた人間関係とは、恋愛関係つまり女性関係ばかりである。しかし、臭くて古い言い回しかもしれないが、恋愛とは盲目、お互いのエゴとの兼ね合い、あるいは、ワンツーマンの関係である。だから恋愛関係自体、本質的に偏った人間関係なのである。
人間関係とは、自分を映す鏡である。その鏡の数だけ、人は自分を知る。しかしぼくの場合、鏡に映った自分を見た回数自体が極端に少なく、しかもそれら鏡の大部分は、恋愛関係という、歪んだ、あるいは、割れて一部欠けた鏡ばかりであった。だから、年齢の割に、ぼくは自分を知らない。成熟していない。
このままでは裸の王様になってしまうという焦り。いや、もうすでに、裸の王様なのかもしれない。では、今からたくさん人間関係を持とうとすればよいのだろうか。いやしかし、それは少し違う気がするんだよな。だからまずは、今ある既存の人間関係を大切にしつつ、偶然生じた新たな人間関係にも拒絶反応を示さず、自分の無理のない範囲で、人間関係を保とうとするのが、最も現実的な対応策であろう。来る者拒まず、去る者追わず作戦。
そして心境の変化その2、英語。
本社から何かしらジャブがあったわけでも何でもないのだが、海外駐在期間ももう5年近くになったので、そろそろ本帰国も近いだろう。そして日本に帰ったら何をしようかと、色々と考えるのだが、とにかく大学生の頃のように重ための勉強をしたいね。法律系・会計系・情報系の中から、何か難しい資格試験に挑戦したい。
だから日本に帰っても続けないといけないような、しょうもない勉強は、こっちにいる間に無くしたい。そしてしょうもない勉強とは、つまり英語である。クソ英語。もう近い未来に同時通訳機能を搭載した無線イヤホンとか発売されるだろうに、英語を勉強する時間だけクソ無駄。キモイ、英語。そして英語を話せるということだけでイキるな、日本人!!"英語話せる"でイキっているのは日本人だけだぞ!!おらああああ!!!!
はあ・・・はあ・・・。
と、突然に英語コンプを爆発させたところで、まとめると、日本に帰ったら難しい資格試験に挑戦したいので、本帰国までに何とか英語コンプ克服しようというモチベが若干湧いたという話です、はい。
おわり。