しげログ

元ひきこもりなのにヨーロッパで生活している元ひきこもリーマン

【幸せは欺瞞】フラットなメンタルを手に入れたい

 

 ぼくはアダルトチルドレン(AC)と診断されたことはないが、その傾向は間違いなくあると考える。もちろんぼくの生来の性質である可能性もあるが、重要なのはレッテルではない。事実として、一般的な年相応の社会人と比べて、ぼくのメンタルは全く安定していないことは明確である。

 

 このメンタルの不安定さで、最も迷惑をこうむるのは誰でもない自分自身ではあるのだが、自分の身近に居る人にも最大限の迷惑をかける。ぼくで言えば、妻である。

 

 メンタルの弱さは、つまり自分のことばかりにフォーカスしてしまっている状況である。あまりの余裕の無さに、自分のことしか考えられないのである。だから、妻のような身近な人であっても、他人に全く関心を持てない、持てる余地がないということである。

 

 妻と結婚して丸4年が過ぎた。どれだけ自分の未熟さのため迷惑をかけてきただろう。なんど普通の結婚生活を諦めさせてきただろうか。口には表さないが、なんど結婚を後悔させてきたのだろう。

 

 ただ6年間の社会人生活を経験する中で、ようやく最近になって、ほんの少しだけメンタルが安定してきたような気がする。しかし、これでもまだまだ一般人にはほど遠いレベルである。

 

 ぼくももう30代で、もうじき半ばになる。

 

 人生の考え方を変えないといけない。これまでは、自分の美味しい・楽しい・気持ち良いを消費して、それで満足していた。でも、自分だけが楽しい人生の果てに、何が残るのだろうか。

 

 何も残らない。しかし、そこに大切な人がいて、その人と共有した時間があれば、生きた証になる。もちろん子どもを作ることが、最たる生きた証である。しかしそれだけではなく、自分自分が行ったことで赤の他人が喜ぶことも、生きた証である。

 

 他人が喜ぶこと。それを楽しめるような人間にならないといけない。しかし、こんなメンタルの不安定さ・弱さでは、他の人を喜ばせることは絶対にできない。自分に余裕のない人間が、どうやって他人を喜ばせることができるだろうか。

 

 とはいえ、そのために自分は幸せであると思うようになることは嫌だ。ぼくは"幸せ"という言葉は大嫌いだ。幸せは欺瞞でしかない。とある目の前の事実を見て、"自分は幸せだ~"と思う・思おうとすることは、事実を歪めて解釈している欺瞞でしかない。(もちろん、"自分は不幸だ"と思うことも、同じく事実を歪めているので欺瞞であるが。)

 

 そもそも幸せ・不幸せの概念自体が邪魔なのである。不要なものである。例えば、震災などの被害者を報道でみて、"あの人たちに比べて自分はまだ幸せな方だ"という人がいる。他人の不幸をみて認識できる薄っぺらい幸せなんて捨てちまえ!!

 

 だからぼくは、幸せでもなく不幸せでもなく、常にフラットな気持ちでいれるようになりたい。RPGのように、主人公の後頭部辺りから自分を見てコントロールするイメージを持てるようになりたい。

 

 それは他ならない自分のためであるし、ひいては妻や将来できるかもしれない子どものためである。