しげログ

元ひきこもりなのにヨーロッパで生活している元ひきこもリーマン

会社や上司への愚痴を言うだけの人は社畜

 

 いやー1週間ぶりの更新になってしまったな。この2週間は弊チーム内で有給休暇の取得があり、忙殺される結果となった。かつ、その2週間の真ん中にあった土日は、スペインへ旅行した。楽しかったものの、本日のように何も用事のない土日を過ごすのは、ちょっぴり久しぶりな気がしてホッとする。

 

会社や上司への不満を愚痴る人

 

 いきなりだが、会社や上司への不満を言う人を見ると、なんか哀れだなぁと思うよね。なんか根本的に人生そのものの捉え方からして、高校生のままなのである。自分は"与えられるべき存在である"と思い込んでいるのだ。

 

 いや厳密というと、会社や上司への不満自体を持つのは別にいいし愚痴ってもいい。ぼくも妻に愚痴ったりすることはある。でも愚痴る以上は、なんか対案を持つなり、行動するなりしろやと思う。それが自立した社会人ってもんだろう、と。

 

社会の原理原則みたいなもの

 

 そもそも社会自体、個人がただ存在しているだけで誰かに関心を持ってもらえることはあり得ない。これは社会の原理原則の一つである。その中で、"自分は社会に対して付加価値を生み出せるんだぜ"ってことをアピールする、あるいは実際に生み出すことで、ようやく自分に関心を持たれるものである。

 

 この原理原則から外れているのは未成年である。厳密にいうと、彼らは彼らで、社会へ共助・公助を齎している考えられるので、これも十分な付加価値ではある。が、基本的に未成年は何もしなくても、ご飯が与えられて、みんなに気をかけてもらい、守ってもらえる。

 

会社もそうやで

 

 就活なんて、この原理原則を表している最たるものである。今まで守られる立場でしかなかった学生たちが、ようやく初めて己の力だけで、己の力を社会に訴えかけるのである。自分はめっちゃ使えるヤツでっせぇ~と。

 

 しかし就職が決まった途端、厳密にいえば、ちょっと仕事に慣れて緊張が解れた頃の3-4年目になると、すっかりこの原理原則を忘れてしまう人が出てくる。会社や上司は自分に不当な扱いをしていると、図々しい甘えた考えをするようになるのだ。

 

被雇用者も株式会社自分である

 

 しかし被雇用者になったからといって、会社に守られる存在になるわけでもないし、反対に会社のコマになりきるわけでもない。あくまでも、"株式会社自分"である。だから会社員であっても、自立した社会人として、自分がこの会社にどんな付加価値を与えれるのかを考えて働く必要がある。それらを考えて働いて良いのである。

 

 だから会社や上司へ不満があるなら、自立した社会人として、"こうした方が良いのではないでしょうか?"と提案する権利がある。義務ともいえるかもしれないが、被雇用者であっても、会社に提案する権利があるのだ。もちろん、その主張は社会人として論理的・説得的、そして冷静でないといけないが。

 

 そして頑張って活動した結果、それでも会社や上司が変わらないのだったら、これまた自立した社会人として、辞める権利があるのだ。株式会社自分の社長である自分が、このマーケットは伸びないな、と経営判断して撤退すれば良いのである。

 

会社や上司への愚痴を言うだけの人

 

 そこにきて、会社や上司への愚痴を言うだけ言って何も行動しない人、辞めるわけでもない人は、社畜といって良い。社畜というと、一般的には長時間サービス残業したりする人をイメージするが、愚痴だけこぼしている人も立派な社畜である。

 

 "自分は与えられる存在である。変わるべき・行動すべきは会社や上司であって、自分ではない。"と主張しているのである。そして悠々自適に土日を過ごして、また平日から会社と上司の愚痴こぼして・・・の無限ループ。

 

 会社に給料という餌を貰うだけ貰って、ビービー文句いって、何もアクションを起こさない。これこそ社畜だよね。

 

自分が気を付けていること

 

 もし自分が会社や上司に対して不満を持った時は、どうするかというと、

 

 "自分だったらどうする?”

 "自分ならこうするとして、それはなぜ?"

 "その根拠は説得的か?"

 

 などと常に自問自答するように気を付けている。そう考えると、上司がそう判断した背景も見えてきたりする。で、それを考えつつも、それはそれとして、自分に与えられた職務から得られる利益の最大化を図っている。

 

 自分を会社から給料という餌をもらうだけの社畜に貶めたくないから。それに何だかんだで、こう考えた方が、自分が人生をコントロールしている感はあって、楽しいよ。いや楽しくないどころか、苦しいことの方が多いけど、振り返ると充足感はある気がする。