久々の登場。ほんと週1でもいいから、ともかく定期更新できるようにならんのかね。ぼくは。しかし、それでも極小ながらアクセスがあるのが嬉しい。
ありがとうございます。たぶん通りすがり的なアクセスだと思うけど。
映画『ジョーカー』
さて先日、これ久々に映画の『ジョーカー』を観た。2019年公開、バットマンシリーズのスピンオフ作品である。ぼくはこの映画をえらく気に入っており、今回の視聴ですでに5回目くらいとなる。それくらい好きな映画。
感想
まぁありきたりな感想だけど、この映画には共感と爽快感があるんだよな。
前半は、社会から理不尽な扱いを受けても、真っ当に生きようとするジョーカーに共感する。それでも社会や現実はひたすら彼を突き放していく。わかる、わかるよと感情移入してしまう。
そのうえで後半、ついにジョーカーがブチ切れる。とくに吹っ切れたジョーカーがピエロの格好をして、煙草を吸いながら堂々と地下鉄から出てくるシーンに、めちゃくちゃ爽快感を覚える。暴力に訴えているにもかかわらず、"それでいいんだ!よくやった!"とすら思ってしまうところもある。
だから繰り返し見てしまう。
自己肯定感
みんな誰しも、当たり前すぎて意識していないと思うけど、ぼくらは常に"ココに居ても良い"という自己肯定感をどこかに持ってあるのだと思う。仕事で涼しい顔してキーボードを叩いているあの人も、上司への生意気な愚痴を言うこの人も、どこかに"自分は居て良い"という肯定感がある。
しかし、存在を疑う余地などないと思うくらい当たり前に在るその肯定感には、実は何の根拠もない。その根拠は自分が勝手に抱いている幻想なのかもしれない。近しい人の急死、裏切りなどで突然に消え去ることもあり得る。そうなったとき、それに気づいてしまったとき、人々はどう反応するんだろう、とつくづく疑問に思う。
社会的弱者を痛烈に、あるいは簡単に批判してしまう人は、現在の自我を支えている肯定感を疑ったこともないのだろう。それらを脅かされたことすらもない恵まれた人生だったのだろう。