【しげログ】元ひきこもりの社会不適合者サバイバルライフ

元ひきこもりなのにヨーロッパで生活しているリーマン

日本での生きづらさについて、ヨーロッパから語る。

(ストックホルム市で一番狭い通り。なお本記事と全く無関係)

 前回の記事では、日本とヨーロッパの公園の違いについて書いた。要は、ヨーロッパでは公園が広くて数も多いし、ルールの規制もだいぶ緩い反面、日本は公園が狭く少ないし、規制も厳しいといった内容である。

 

 ヨーロッパ人と日本人では、どうも規律への捉え方に大きな違いがあり、そしてそこにこそ、日本での生活を生きづらくさせているものがあるような気がするのだ。

 

前回の記事

shigetoki.hatenablog.com

 

個人主義と集団主義

 

 もうだいぶ古くから言われていることではあるけど、結局これは個人主義と集団主義の違いに起因しているのだと思う。個人主義に当たるのは当然ながらヨーロッパ人であり、日本人は後者である。

 

個人主義であるヨーロッパ人

 

 ヨーロッパに丸4年以上住んでいて思うのだが、ヨーロッパ人は基本的に他人に迷惑をかけることに躊躇がない。

 

 例えば、それこそ公園の例でいうと、レジャーシートを敷いて駄弁りながら、ディスコかと思うくらい大音量で音楽を流している集団が普通にいたりする。あるいは電車やバスの中では、むっちゃ大声で会話や電話をしていたり、なんだったらイヤホンもつけずにYoutubeを観ている人もよく見かける。

 

 こんなんが許されるヨーロッパってむちゃくちゃやん、と思うかもしれないが、当然ながらヨーロッパ人の皆が皆、こうした光景を許容しているわけではない。そうした人たちは、それらをウルサイと自分が思えば、静かにしてくれと主張するのだ。それもヒステリックに伝えるわけでもなく、"私はあなたをウルサイと思っているから、静かにしてほしい"といったような主張の仕方である。

 

 だからヨーロッパ人の根底には、公共の場であろうとなかろうと、まず個人が自由に振る舞うことを尊重する意識がある。但し、それの度が過ぎた場合は、他人の個人の自由を侵害する迷惑行為とみなされて、そこで初めて淘汰される。

 

 こうした規律への意識が根底にある気がする。

 おそらくこれは、いわゆる個人主義というヤツなのだろう。

 

集団主義である日本人

 

 一方で日本は、上記例とは気持ちが良いくらい正反対である。

 

 まず公共の場では、迷惑をかけてはいけないという規律がある。バスや電車では通話が禁止されて、全ての人がそれを遵守することを強いられる。その上で、それを破ってしまうと、破ってしまったこと"自体"そのことに対して社会的に断罪される。

 

 しかしよく考えると、車内での会話と通話とで、何が違うのだろうか。要は、その場にいる人たちの会話がうるさければ、それは迷惑行為だし、一方でヒソヒソと通話している程度で耳障りでなければ、迷惑行為ではないのだ。手段の目的化である。

 

 日本人の根底には、公共の場では他人に迷惑をかけないように規律されたルール自体をまず尊重する意識がある。ルールがあって、その下に個人の自由がある。だから、迷惑をかけない人も、それを遵守することが強いられるし、実質的には迷惑行為ではないことも、それが禁止されることも多い。

 

 おそらくこれは、いわゆる集団主義というヤツである。

 

集団主義の良し悪し

 

 このように考えると、日本では規律の遵守が優先されるのだから、日本の治安が一般に良い点や、公共の場や震災時等での個人の振る舞いが規律正しいとされる点は、納得である。

 

 一方で、これによって損なわれている個人の自由と効率性は計り知れないだろう。これまた、日本の政治や経済が上手く回らない点、労働生産性が一般に低いとされる点にも、納得である。

 

日本の生きづらさ

 

 こうした規律は他人に迷惑をかけないように策定されるのだから、アレも迷惑になる、コレも迷惑になり得る、と規制範囲は際限なく広がる。正しく生きている人も規制される。

 

 例えば日本では公共の場でゴミ箱が非常に少ない。恐らく、そこに家庭ごみを捨てるという迷惑行為をするヤツがいるからだろう。だから全て撤廃するという発想。しかし、そうすることで品行方正な人も誰も彼もが、ポケットやカバンをゴミでパンパンにして通勤等を行うことになる。

 

 こうした馬鹿馬鹿しい光景が、日本の政治や企業や私生活の中で、日常的に起こっているのである。

 

 そりゃ、日本の生活に生きづらさを感じないわけがないよね。

 

拍車をかけるグローバリゼーション

 

 そして、これも古くから言われる論調だけど、昨今ではネットや国際交流や国際移動が発展して、どの都市にいっても似たような光景が拡がっている。どこに旅行しても、マクドやスタバがあるし、現代的なショッピングモールがある。

 

 グローバリゼーションな時代である。全世界がそのグローバリゼーションに合わせてゆく時代である。そしてグローバリゼーションとは個人主義でもある。全GDPの大部分を占める欧米等が個人主義だからだ。

 

 そして当然ながら日本も、そのグローバリゼーションの波に飲まれるわけだが、規律や規制ありきの集団主義的日本が、個人の自由を尊重するグローバリゼーションに噛み合うとは思えない。だがしかし、ぼくらはその波に飲まれないといけないのだ。

 

 グローバリゼーションも、日本の生きづらさに拍車をかけているかもしれない

 

まとめ

 

 だから日本での生活を想像すると、ギギギギギギギ・・・・とさび付いて回らない歯車をイメージする。息苦しいだろうな。

 

 但し、食だけはマジでうまい。

 

 この一点のためだけに、早く本帰国したい。

 寿司!!